【山口県大島郡周防大島町椋野】
世良修蔵は天保6年7月4日、中司八郎右衛門徳熹の三男として周防国大島郡椋野村に生まれた。第二奇兵隊の軍監を勤め、四境の役では幕府軍に占領された大島の奪還に貢献した。
戊辰戦争では奥羽鎮撫総督参謀として派遣されたが、慶応4年閏4月20日滞在先の金沢屋を仙台・福島藩士が襲撃、殺害された。
※管理人は東椋野バス停で下車。JAの脇を山に向かって進むと、招魂碑の案内板があります。茂兵衛堂を目印に進むとわかりやすいです。招魂碑は墓地の道を一番上まで登り、左に進んだ先です。
茂兵衛堂
中司茂兵衛義教は弘化4年に中司家の3男として生まれた。世良修蔵の従兄弟にあたる。生涯280回の八十八カ所巡りを行った。
【山口県大島郡周防大島町大字久賀東天満町4719-3】
大洲鉄然は天保5年11月5日、覚法寺住職雪道の二男として周防国大島郡久賀村に生まれた。第二奇兵隊の参謀を勤め、四境の役では山口に救援を求めると共に自らも兵を率いて幕府軍と戦った。
明治維新後は久賀港の築造を提唱するなど、郷土の発展に尽くした。
大洲鉄然誕生地
贈正五位大洲銕然師碑
大洲鐵然之墓
明治35年4月25日 卒
【山口県大島郡周防大島町久賀4316付近】
四境の役で焼失した覚法寺の本堂再建の話が持ち上がった際、本堂再建よりも港を造ることが先決であると提唱し、賛同した村民により明治13年に完成した。発起人として大洲鉄然の名も刻まれている。
※周防大島観光協会の脇にあります。
築港当時の波止
【山口県大島郡周防大島町久賀新開東5124】
当主伊藤惣兵衛は幼少より国学を好み、長じて勤王僧月性とも交わり尊王の大義を唱えた。藤屋は月性や大洲鉄然が良く会談で用いた。四境の役で久賀村は焼け野原となったが、藤屋は両軍に酒を振舞い焼き討ちを逃れた。
【山口県大島郡周防大島町久賀向津原】
慶応2年6月17日、幕府軍艦富士山丸より発射された砲弾が村田家の壁と梁を貫いた。村田家には当主の乾板写真や砲弾が保存されているそうである。
※八田八幡鳥居から港方面に向かって2本目を右に曲がった先にあります。訪問した際は外観のみで、砲弾や内部は公開されていませんでした。
【山口県大島郡周防大島町久賀696-2】
明治維新以降、2747柱を祀っている。
※八田八幡宮境内にあります。石段結構ありましたので、頑張ってくださいませ。
維新墓地には大島口の戦死者18名を始めとし、北越戦争戦死者と維新ゆかりの人々5名を合わせた23名の墓碑がある。招魂社祭として明治10年から8月15日が例祭日と定められている。
※八田八幡宮境内にあります。
松永熊蔵
慶応2年6月15日 卒
国木台にて死亡
金谷磯右エ門
慶応2年6月17日 卒
野村吉蔵
慶応2年6月16日 卒
第二奇兵隊
三ツ石にて死亡
宮本和七
浩武隊
越後古志郡にて死亡
末武省作
越後長岡にて死亡
久行丈之助
宍戸隊
久賀にて死亡
木田浅吉
遊撃隊
芸州口にて死亡
国行雛次郎
波多野五郎
大野隊
泉徳太郎
仲木直太郎
竹中甚之助
大谷八郎
慶応2年6月11日 卒
護国団
松岡茂太郎
大島三番隊小隊
冨山勇記
大島五番小隊
山本与吉郎
大島六番小隊
山脇種蔵
大島九番小隊
笛吹峠にて死亡
岡本新太郎
村上亀之助隊
国木峠にて死亡
大波野市蔵
上関隊
藤本鹿之助
岩本直吉
楢崎剛十郎
慶応2年4月4日 卒
石城山にて殺害される
伊藤惣兵衛
慶応元年5月19日 卒
病死
【山口県大島郡周防大島町久賀5408】
楢崎剛十郎は天保9年久賀町能庄に生まれた。第二奇兵隊組織し、書記役となったが石城山にて慶応2年4月4日に立石ら脱走隊士に殺害された。明治35年、従五位贈位。
※明治百年記念公園内にはなく、山側の道向こうにあるのでご注意くださいませ。
【山口県大島郡周防大島町久賀5406】
四境の役大島口で、ここ追原付近は特に激しい戦闘が行われた古戦場である。現在は明治百年記念公園として整備され、碑が並んでいる。
精忠不朽之碑
精忠不朽之碑 碑文
四境の役大島口について述べられている。白井素行撰。戦死者は維新墓地では18にだったが、碑文には河村文葊が含まれ19人となっている。
大洲鉄然 撰並書
立石孫一郎に率いられ第二奇兵隊を脱走し、後斬首された中には大洲鉄然が勧誘し入隊させた者も多かった。彼らの業績と慰霊の為の碑文が刻まれている。
贈従五位伊藤君碑
藤屋当主伊藤惣兵衛の顕彰碑。惣兵衛は大洲鉄然らと共に真武隊を結成したが、病に犯され郷里に戻った。慶応元年病没、靖国神社に合祀されている。