富士見市

難波田氏館趾

 

【埼玉県富士見市大字下南畑568-1

中世に富士見市下南畑の地を本拠地として活躍した難波田氏の城館趾。戦国時代後半に北条氏の支城となり、天正18年に北条氏の滅亡で廃城となった。

難波田氏はその後徳川家に旗本として仕え、3家にわかれ大政奉還まで続いた。

難波田直治郎之墓

明治12年8月 卒

一橋家に仕え、直治郎が亡くなった後は息子省三がその後を継いでいる。省三は彰義隊に結成時から参加している。

興繕寺

 

【埼玉県富士見市下南畑74】

慶応4年、難波田弾正と名乗る一党が興禅寺を本拠地とした。備前藩遊寄隊と交戦、降伏。9人が銃殺され、4人が斬首となった。

 

地蔵像

明治2年、処刑された人々の供養の為に造立された。側面に13人の戒名、顛末、造立趣旨が刻まれている。

錫杖権現

 
【埼玉県富士見市鶴馬畑下2010-5

降伏した難波弾正を始めとする4人が処刑された。当初その事件の真偽すら不明とされていたが、後に難波田弾正の系譜をひく難波田千代虎憲正であったと判明している。

※難波田氏城館趾から向かい、鶴馬の交差点を右折。1つ目の未舗装の道を右折した先の駐車場脇。