【兵庫県洲本市海岸通2-1-3】
稲田九郎兵衛屋敷跡。庚午事変では最初に占領された。
【兵庫県洲本市山手1-1-27】
徳島藩藩庁跡。
【兵庫県洲本市山手2-1-3】
庚午事変の際、決起隊の司令部となった。13日早朝にここから出撃し、捕縛した稲田氏側の家臣や家族を収容した。
【兵庫県洲本市山手2-1-10】
洲本城内にあった金天閣が移築されている。
【兵庫県洲本市本町4-1-27】
境内に稲基神社の碑が残る。稲田家は北海道への移住に際し、崇敬していた稲基神社の碑を残した。
稲基神社碑
稲田氏や家臣の屋敷が並んでいた。庚午事変の際、この辺り一帯が襲撃目標となり焼失した。
※以下の写真は、徳島県立文書館ホームページ記載の洲本城下の武家屋敷図を基に当時の焼失域を現在の街並みから推測した場所です。正確ではない可能性がありますので、ご注意を。
割長家九郎兵衛宅跡
藤井一郎・三宅達太郎宅跡
藤井・三宅の2名は騒動の際に自刃している。
野尻弥三兵衛宅跡
津田最中宅跡
【兵庫県洲本市山手2-1-43】
元は稲田家の西別荘だったが、後に学問所となった。幕末には桂小五郎、山縣有朋、西郷隆盛らも滞在した。庚午事変の際の襲撃目標で、焼失し現在は庭園のみが残る。
【兵庫県洲本市本町8-7-31】
※管理人が参考にした写真と位置が変わっていました。墓地の真ん中辺りだったでしょうか。ご住職にお話し聞いていた際に「多田さんのお家もそこに」と言われて、知らなかった情報なので吃驚しました。代々お名前継いでいたようで、同じ名前の大きな個人墓はご子孫の方のものです。
庚午志士之碑
徳島藩士
平瀬伊右衛門
多田禎吾
明治3年9月3日卒
徳島市万福寺にて切腹
【兵庫県洲本市栄町4-3-55】
大村純安
招魂碑
庚午事変の犠牲者の為、明治27年旧家臣達によって建てられた。
淡路洲本城代稲田家15代当主
稲田邦誠
慶応元年7月29日卒禁門の変で、長州征伐に出陣した。
淡路洲本城代稲田家16代当主
稲田邦植
昭和6年5月26日卒
庚午事変後、静内開拓を命じられた。