酒田市

観音寺

 

山形県酒田市亀ケ崎5丁目1−38

忠魂碑

戊辰戦争から太平洋戦争までの地域の戦没者の忠魂碑が建てられている。

酒田県庁跡

 

【山形県酒田市亀ケ崎1丁目3】

江戸時代まで亀ヶ崎城であったが、明治になると一時民生局が置かれ酒田県庁となった。明治2年の天狗騒動の際は、農民から酒田県庁に嘆願書が提出された。

森藤右衛門顕彰碑

森藤右衛門は戊辰戦争に酒田兵一番隊補備として従軍、大政奉還後に置かれた酒田民生局の教育施設「学而館」の句読師に任用された。

本間旧本邸

 

山形県酒田市二番町12−13】

本間旧本邸は、三代光丘が幕府の巡見使の宿舎として明和5年に建て、庄内藩主酒井家に献上した。その後巡見使一行が江戸の戻ると、酒井家から屋敷を拝領した。

※冬季は休邸となります。管理人が行ったのは休邸期間だったので、再訪したら写真を増やしたいです。

別館お店

 明治天皇御巡幸行在所跡

 

山形県酒田市本町3丁目10

明治14年9月25日、東北御巡幸中の明治天皇は鶴岡の巡幸を終え、酒田の行在所渡部作左衛門宅へ宿泊した。大正11年にこの地に記念碑が建てられたが、戦時の金属回収で供出し、現在は台座のみが残されている。

光丘神社

 

山形県酒田市日吉町1丁目7−16

本間家三代光丘を祀る神社。本殿の後ろに官軍兵士の墓がある。明治元年4月の庄内戊辰戦争開戦後、庄内には約4万5千人の官軍が入り、酒田には内4千人が進駐した。明治2年8月の引き上げまでの約1年の間に、8人が病没し、上日枝神社社司齋藤清澄の好意よりこの地に墓が建てられた。

肥州蓮池藩 

黒田半蔵

明治2年6月14日卒

雲州松江藩

鳥谷尾政市

明治2年6月12日卒

肥州蓮池藩

堤嘉一郎

明治2年2月7日卒

肥州蓮池藩 

直鳥善助

明治2年8月3日卒

肥州蓮池藩

井手河内

明治2年3月1日卒

雲州松江藩

樋原利蔵

明治2年7月7日卒

雲州松江藩 

河下源太郎

明治2年3月11日卒

雲州松江藩

神立金蔵

明治2年7月8日卒

供養塔

36区自治会官軍墓地を守る有志による推測

 

大信寺

 

山形県酒田市寿町1−37

※森のお墓は本堂裏の墓地、生垣に囲まれてありました。

森藤右衛門

明治18年9月16日卒

ワッパ騒動の際に農民側に立ち、東京へ赴き一揆から法廷闘争・言論活動に切り替えて勝訴に導いた。

妙法寺公園

 

山形県酒田市相生町2丁目3−73

遊撃隊の佐藤桃太郎、天野豊三郎、岡崎藩士関口有之助の三烈士の墓碑。佐藤らは箱根を始め各地で敗戦し庄内に活路を求めたが、既に庄内藩は降伏していたため八ツ興屋村の林高院に潜伏していた。6人の同志は江戸に戻ったが、残った佐藤ら3人は最後まで抵抗を続け捕らえられ、明治2年4月21日に酒田の刑場で処刑された。遺体は妙法寺に葬られたが、八ツ興屋村で彼らの世話をしていた三浦半三郎らによって首が持ち出され、林高院に葬られた。

林昌寺

 

山形県酒田市南千日町4−8

捕らえられた佐藤桃太郎ら3人は、米屋町の佐藤九郎右衛門宅に身柄を預けられた。九郎右衛門林昌寺に佐藤らの遺髪を納めた髭髪碑を建てて3人を弔った。

※髭髪碑は境内にはなく、本堂背後の鐘楼の隣にありました。戒名、氏名は石碑の原文ママ。

義豊院殿忠山良勇居士 天野豊治郎

桃嶽院殿誠忠義心居士 佐藤桃太良

賢明院殿精勇英了居士 関口有之助

明治2年4月21日卒