八街市

脱走塚

 

【千葉県八街市八街ろ1-140】

明治元年10月6日、松山戦争に敗れた諸生党半蔀平義中は敗走中にこの付近で捕らえられ殺害された。この塚は付近の住民が遺体を埋葬し弔ったものだと伝わる。

※とある会社の駐車場内にあります。休日で会社もやってなさそうですし。敷地外がら写真撮って諦めようかと思ったんですが。少し先の農道から後ろに周れまして。看板あって、ちゃんとお参り出来るようになってました。

滝台稲荷神社

 

【千葉県八街市滝台252付近

前山精一郎の建てた山田台稲荷神社分社。

明治天皇御野立所

 

【千葉県八街市滝台1656付近】

明治15年5月、この付近を中心として行われた近衛兵団の大演習を明治天皇が総覧された場所である。

碑の説明

滝台の交差点にある御野立処参道の碑

八街市立二州小学校

 

【千葉県八街市山田台1】

八街南部の開墾に先導した前山精一郎は教育の普及にも尽力し、二州小学校の前身となる大塚小学校を10年に設立した。

※校章が鍋島家の家紋をベースにしてました。校章入るように撮れば良かったですね…。

山田台稲荷神社

 

【千葉県八街市山田台661】

明治10年の西南の役に前山精一郎長男元次郎が従軍した。その際川で水を飲もうとした際に後ろから狙撃されたが、難を逃れ無事に凱旋した。ところが同じ時、前山邸の池に白狐が落ちて溺れ死んだ。精一郎はこの白狐が元次郎の身代わりになったと考え、鍋島家の産土神である東京の烏森稲荷から分霊勧請し、白狐の墓の脇に祠を建てた。この祠が山田台稲荷神社の発祥となった。

山田台共同墓地

【千葉県八街市山田台700-1付近】

佐賀藩士前山精一郎の墓がある。前山は庄内追討応援参謀に任命され、奥羽鎮撫総督の九條道孝の解放に尽力した。前山は佐賀藩士で一番多くの賞典が与えられている。鍋島家による小間子牧開墾事業を先導。開墾会社「永沢社」を設立し、旧佐賀藩士の受け入れを行った。

※共同墓地は小さな丘のようになっていたのですが。前山家は丘の一番高い辺りで、真ん中の広い道から中に入った2個目の墓域でした。かなり広いお墓なのでわかりやすいです。生憎お盆時で人が多く詳しくみれなかったのですが、恐らく周辺も佐賀藩士のお墓にようでした。