【奈良県生駒郡安堵町東安堵1322】
安堵町歴史民俗資料館は、江戸時代から代々村の庄屋役などを務めた旧今村邸を展示施設として活用した。幕末の当主今村文吾は伴林光平や三枝蓊ら天誅組の面々と親交があり、鷲家から逃れた伴林は今村邸に立ち寄ったものの、今村邸にも追手が差し向けられていたため、文吾と息子宛の文と金銭を投げ入れたと伝えられている。
【奈良県生駒郡安堵町東安堵1379】
伴林光平、今村文吾ら今村社中は、安堵社(飽波神社)に和歌百首を奉納した。
【奈良県生駒郡安堵町窪田53】
※墓地は高低差があり、毛利のお墓は墓地の真ん中辺り、少し小高くなったところにありました。今村は本堂裏手側の墓地の入口近くにあります。
今村文吾
文久4年1月4日卒
晩翠堂という私塾を開き、伴林光平、三枝蓊、毛利義之等天誅組に参加した面々と交流していた。文吾も天誅組に参加を望んだが高齢の為叶わず、軍資金の支援を行った。
毛利義之
文久3年10月5日卒
吐田の大庄屋。当初郡山藩に従い五条に入ったが、天誅組に加わり軍資金の調達等後方支援を行った。
墓地にある地蔵尊の土台は、義之の功績により明治天皇から妻のケイに下賜された。