【鳥取県鳥取市浜坂1318-53】
明治元年11月12日、邑美郡古市大字郭台に祠宇を仮設し、藩主池田慶徳が祭主となって戊辰戦争で戦没した鳥取藩士の鎮魂祭を行ったことが鳥取縣護国神社の起源となった。
近藤類蔵供養塔
奥州広野で戦死した近藤類蔵の供養塔。
【鳥取県鳥取市安長256-6】
文久3年3月、藩命により吉田直人・中井範五郎らと大阪に赴き勝海舟について海防学を学んだ。同年8月17日、河田左久馬ら22名で京都本圀寺に滞在していた鳥取藩側用人の黒部権之助、高沢省己、早川卓之丞と従者の藤井金蔵を殺害した。(本圀寺事件)
【鳥取県鳥取市湯所町1-709】
※尾崎の墓は本堂左奥から山の斜面に入っていった先にあります。佐善元立の墓も天徳寺にあるそうですが、見つけることができませんでした。
尾崎健蔵
文久4年2月16日卒
鳥取藩脱藩後、天誅組に参加。天理の福知堂で藤堂藩に捕縛され、京都の六角獄舎で斬首された。
【鳥取県鳥取市湯所町1-139】
※有田の墓は本堂前の墓地、正墻の墓は左手脇。石碑が建っているのでわかりやすいと思います。
正墻適処
明治8年3月9日卒
松山藩に召し抱えられていたが、鳥取藩主池田慶徳はその才を惜しみ藩に呼び戻され、藩の学制について多くの改革を行った。
有田正路
明治10年3月7日卒
陸軍軍曹、田原坂にて戦死。
【鳥取県鳥取市尚徳町101】
宝暦7年2月1日鳥取藩第5代藩主池田重寛によりこの地に藩校尚徳館が創設された。嘉永4年、第12代藩主池田慶徳は人材養成のため藩校の拡張整備を行った。
【鳥取県鳥取市戎町202】
※瀧の墓は本堂の裏手にありました。
因州藩
瀧金一
明治元年5月15日卒
上野戦争にて戦死。
【鳥取県鳥取市吉方温泉2-245】
※村澤の墓は山門左脇にありました。
村澤伊八郎
慶応4年年7月26日卒
奥州広野にて戦死。
【鳥取県鳥取市立川町4-24】
慶安3年鳥取藩藩祖池田光仲のよって東照宮の別当寺として乾向山東隆寺淳光院として建立された。宝永4年輪王寺より慈雲院の院室号が付与され、以降住職の交代時に院室号を受け、隠居時に返上することになった。文化12年に大雲院の号を常院号にすることが印可された。
鳥取藩第12代藩主
池田慶徳
明治10年8月2日卒
慶徳は京都で死去し、向島の弘福寺に埋葬されたが、多摩霊園に改葬、更に大雲院の池田家墓所に改葬された。
池田徳澄公墓記
東館第10代藩主。墓記は山岡鉄太郎書。遺骨は池田家墓所へ合祀されている。