【長崎県長崎市深堀町5丁目417】
※西久保平九郎の墓地のみ、本堂右手側の区画にありました。右手側の墓地は、菩提寺の山門を入る前に右側の細い道を進んだ先にあります。
鍋島孫六郎
大正3年5月9日卒
北陸道先鋒を仰せつけられた佐賀藩の総隊長として進軍した。
深堀六番隊
荒木文八郎
慶応4年7月16日卒
女鹿村の戦いにて負傷、再起の望みなく自刃した。
向井喜助
慶応4年8月14日卒
小砂川の戦いにて負傷、塩越村の病院に運ばれた後亡くなった。
西久保平九郎
慶応4年7月16日卒
女鹿村の戦いにて深手を負ったため自刃した。
川原泰三
女鹿村の戦いで殿を務め、討死した。
川原は神式の墓の隣に戒名の刻まれたお墓もありました。
峰弥次右衛門
御用人兼御目付として従軍。弥次右衛門の残した『東征日記』によって、深堀六番隊の行動を明らかになっていった。
高濱太郎
昭和3年8月8日卒
別段御供として従軍。後に江藤に賛同して佐賀の乱にも加わった。高濱の墓誌に荒木の最期が描写されている。
江口尉九
明治5年9月24日卒
慶応3年12月、御扈従として戊辰戦争に従軍した。
【長崎県長崎市深堀町4丁目97付近】
※上記住所は入口近くの住所ですが、多々良と江口の墓は割と奥の方にありました。
多々良鉄之助
明治元年7月16日卒
女鹿村の戦いで傷を負った西久保を介抱中、胸を撃ち抜かれて亡くなった。
江口宗善
昭和4年6月5日卒
江藤新作の従兄弟で、姉千代子は新平の妻。戊辰戦争に従軍し、帰郷後『慶応記』を記した。佐賀の乱では最後まで新平と行動を共にした。
【長崎県長崎市深堀町5丁目181】
招魂廟
戊辰戦争で戦死した深堀六番隊の6人が祀られている。
【長崎県長崎市深堀町5丁目182】
江藤新平の父江藤助右衛門、および妻千代子の父江口央助はこの地で生まれた。新平と千代子は従兄妹の間柄である。
【長崎県長崎市深堀町5丁目248】
峰弥次右衛門の屋敷跡。江藤新平は、東京から佐賀に戻る途中峰の屋敷に立ち寄った。
【長崎県長崎市深堀町1丁目462】
江藤新平の妻千代子は、新平の斬首後、この地に居住していた。
【長崎県長崎市深堀町5丁目272】
佐賀藩家老、深堀鍋島家の陣屋跡。
※以前幼稚園前にあった石碑が移っていると思うのですが、入口に鎖が張ってあって中まで入れませんでした。移っても非公開の私有地のままなのでしょうか・・・?
【長崎県長崎市深堀町5丁目191】
深堀鍋島家の家臣の屋敷跡。この場所が城下町の入口で、道路を挟んで三番家老の樋口家、筆頭家老の深堀家、二番家老の田代家などが続いていた。
【長崎県長崎市蚊焼町2123付近】
明治元年9月18日卒
会津城不明口胸壁攻撃の際に戦死している。桑原は鍋島孫六郎の足軽だが、何故会津城攻城戦に参加していたかなどの詳しい事情は不明。