【福岡県福岡市博多区博多駅前1丁目29−9】
舊就義隊之碑
黒田長成揮毫
【福岡県福岡市博多区御供所町11−20】
※加藤家墓所は本堂裏手
加藤司書墓
慶応元年10月25日卒
見性院殿悟道宗心居士
加藤堅武墓
明治10年5月2日卒
堅武は司書長男。西南戦争に呼応し蜂起(福岡の変)。捕縛後斬首となった。
加藤大四郎墓
大四郎は司書次男。兄と共に福岡の変に参加するも、若年の為許された。大四郎の子孫が代々節信院の住職を務めている。
【福岡県福岡市博多区御供所町13−6】
正和5年(1316)の開基。黒田家重臣の墓が並ぶ。戊辰の藩難にて、久野将監と浦上数馬が子の地にて切腹した。
※本堂の前に境内図があり、お墓の位置が書かれています。小心者なので開山堂の木戸が開けられずに、3回程通いました。
鷹取養巴之墓
慶応元年10月23日卒
筑前藩藩医。
鷹取養巴惟寅先生遺句
砂に立つ 松葉するとし 初時雨
鷹取養巴は桝木屋の浜で斬首になった中で唯一辞世の句が伝わった。
森勤作墓
対馬藩の内訌を周旋中に出頭を命じられ、刑につくために帰藩。桝木屋の浜にて斬首。
伊丹真一郎墓
喜多岡勇平暗殺犯として激しい拷問を受け、桝木屋の浜では大袈裟に斬られた。
久野将監墓
慶応3年9月27日卒
久野家墓碑
【福岡県福岡市博多区冷泉町5-35】
慶応元年(1865)10月25日、乙丑の獄により筑前藩家老加藤司書が天福寺にて切腹。
【福岡県福岡市博多区中洲5丁目2】
福岡藩精錬所は、黒田長溥の命により作られた。
【福岡県福岡市博多区奈良屋町4−11−9】
筑前藩士中村円太は高杉晋作の筑前への亡命や五卿の太宰府への移転などに関わり他藩にも知られる存在であったが、脱藩した身でありながら筑前に潜伏。勤皇党の同志が再三退去を促すも取り合わなかった為、報光寺に連行され慶応元年(1865)1月25日強制的に切腹を迫られた。
※この場所は大同庵、古渓水と案内があります。報光寺が大同庵の跡に建てられているので、この地で良いかと。