【愛知県刈谷市広小路4丁目219】
慶応4年2月8日刈谷藩家老の多米新左衛門、津田新十郎、黒田浜右衛門の3名は、倉田珪太郎をはじめとする急進派の藩士たちの襲撃を受けて殺害された。
※奎堂、三家老の墓は施錠されており中には入れませんでしたが、外からお参りすることができます。
天誅組
松本奎堂
文久3年9月25日卒
三家老墓所
多米新左衛門津田新十郎黒田浜右衛門
慶応4年2月8日卒
【愛知県刈谷市司町2丁目74付近】
松本奎堂は天保2年刈谷藩士の松本印南の次男としてこの地に生まれた。
【愛知県刈谷市銀座2丁目100】
※宍戸の墓は山門の前にあります。
宍戸弥四郎
文久3年9月24日卒
【愛知県刈谷市広小路5丁目35】
宍戸弥四郎は、刈谷藩士宍戸弥助の六男として天保4年にこの地に生まれた。
【愛知県刈谷市城町1丁目49】
松本奎堂歌碑
松本奎堂の辞世の句である「君が為 命死にきと 世の人に 語りつきてよ 峯の松風」が刻まれている。
十朋亭
大正5年、士族会員の会合場所として建てられた。十朋亭の命名は、岡鹿門による易経の「十朋之亀弗克違」から引用された。