【鹿児島県日置市東市来町美山788】
※路線バスはあるのですが、2024年管理人の訪問時点では本数が少なくうまく利用できませんでした。伊集院駅前の観光協会で借りた電動自転車で訪問しました。
調所笑左衛門広郷招魂墓
調所が窯業発展に尽力したことに感謝した苗代川の人々が、嘉永元年に招魂墓を建立した。
村田堂元甫阿弥招魂墓
村田は調所の指示を受けて陶工たちの指導を行った。
調練場
玉山神社の第三鳥居から見える台地で、苗代川衆中が戊辰戦争に従軍するために西洋式軍隊の訓練を行った。
戊辰役従軍記念碑
第四鳥居の脇に建てられている。台座には戊辰役従軍者名簿が刻まれている。
【鹿児島県日置市伊集院町大田67-1付近】
記念碑の文字は、西郷隆盛が郡方書役の時の筆だと言われてる。
【鹿児島県日置市伊集院町大田780】
明治2年7月29日、戊辰戦争の戦没者を祀るために創建された。境内にある本田兄弟の墓碑は、兄弟の父本田元左衛門と親交のあった西郷隆盛によって書かれており、日置市の指定文化財となっている。
※戦没招魂墓は参道の左側、本田兄弟の墓は社殿右手の脇から下ったところにありました。夏場は蚊が物凄かったので、充分に対策してくださいませ。
戦没招魂墓
本田親正
慶応4年7月10日卒
北越戦争の際に病にかかり病院にいたが、激しい砲声に病床にあるのが忍びなく、戦場にでて傷を負い亡くなった。
本田親直
慶応4年9月5日卒
8月3日村松にて負傷し、新発田の病院にて亡くなった。
【鹿児島県日置市伊集院町下谷口1880】
有馬新七は、文政8年伊集院郷士坂木家に生まれた。父四郎兵衛が鹿児島城下有馬家の養子に入り有馬姓となった。文久2年4月23日、寺田屋事件にて亡くなった。
【鹿児島県日置市伊集院町下谷口1926-1付近】
石碑の文字は、郡方書役の時の西郷隆盛の筆だと言われている。
【鹿児島県日置市伊集院町徳重1718】
徳重神社は大久保利通や西郷隆盛も参加した妙円寺詣りで著名な妙円寺跡に建立された。妙円寺は明治2年に廃仏毀釈により廃寺になった。
社殿左手奥には廃仏毀釈で壊された石仏等を確認することができる。
明円寺
付近には明治13年に妙円寺が再建されている。
【鹿児島県日置市伊集院町徳重534-13付近】
この碑は大正7年に伊集院町小城に建てられたが、河川改修によりこの地に移った。
【鹿児島県日置市伊集院町徳重541付近】
平野国臣は島津久光に討幕の建白を行おうとし、伊集院にも滞在した。