【佐賀県佐賀市城内2-18-1】
明治7年2月16日、佐賀城に入っていた熊本鎮台兵を佐賀軍が襲撃。一時的に佐賀城を占拠した。
鍋島直正公像
戦時の金属供出で姿を消すも、平成29年再建。
御座間にある直正公建設当時の柱。
元々公民館に移築されていたが、佐賀城本丸歴史館の建設に伴い当地に戻された。
城門には、佐賀の乱の際の弾痕が残されている。
【佐賀県佐賀市中の館町7-11】
※朝倉尚武の墓は、官軍墓地の裏側の区画にありました。
官軍墓地
佐賀の乱で戦死した熊本鎮台兵107名が葬られている。
朝倉尚武
明治7年4月13日卒
征韓党幹部。佐賀の乱では三瀬峠に陣し、後に鹿児島で捕縛。斬首となった。
【佐賀県佐賀市水ヶ江3-7-17】
大木喬任はこの地に生まれ、枝吉神陽らの影響を受けて義祭同盟に参加。江藤新平らと親交を結び、佐賀藩の勤皇活動に参加した。
※隣にあるのは、喬任三男大木遠吉の碑です。
【佐賀県佐賀市水ヶ江2-11-11】
※行った時は2階の勉強部屋が公開していました。どうやら眠くなった時に柱に頭をぶつけていたことにちなんで、「ごっつんの日」で5の付く日に公開していたようです。
大隈重信侯誕生之地碑
大隈重信侯之像
旧宅内部
【佐賀県佐賀市水ヶ江2-11-8】
相良知安が結婚後に住んだ屋敷跡。鍋島直正の侍医として上京した後は、この地に戻ることはなかった。
【佐賀県佐賀市水ヶ江7 万 部 島 1丁目-7】
佐賀の役で殉難陣没した212人の御霊の祭祀所。当初は合葬が許されず「征韓党」「憂国党」が別々に弔魂碑を建てていたが、大正9年の「征韓党」の弔魂碑移設の際に鍋島家所有地の万部島に合祀した。
※この日は天気が良くて。何をどうしても逆光で碑が真っ黒に…。
【佐賀県佐賀市松原2丁目10−43】
佐賀藩第十代藩主鍋島直正、第十一代藩主鍋島直大を祭神として祀っている。
佐賀七賢人
鍋島直正、大隈重信、江藤新平、大木喬任、佐野常民、島義勇、副島種臣が佐賀の七賢人と呼ばれている。
150ポンドカノン砲(復元)
品川台場創設の際に、佐賀藩は3門の150ポンドカノン砲を幕府に献上した。
松根神社
松根神社のに祀られている古川松根は、幼少より閑叟公の遊び相手として成長し、閑叟公が亡くなった際に殉死を遂げた。その忠節に対し、閑叟公を祀る佐嘉神社が創建された際に境内に松根社が建てられた。
純忠の碑
古川松根の純忠を称えて東京麻布の閑叟公の奥津城に創建されたが、佐嘉神社の創建に際しこの地に移転した。
9ポンドアームストロング砲(復元)
佐賀藩では元治、慶応年間に3門のアームストロング砲を鋳造することに成功している。
【佐賀県佐賀市松原2丁目5】
佐賀藩の藩校「弘道館」は、1781年に創設された。十代藩主鍋島直正は1839年にこの地に移転拡張し、副島種臣、大木喬任、大隈重信、佐野常民、江藤新平、島義勇など、明治政府で活躍した人々が学んでいた。
【佐賀県佐賀市八幡小路3-28】
久米は天保10年7月11日、佐賀藩士久米邦郷の三男としてこの地に生まれた。