四万十市

中村城跡三の丸

 

【高知県四万十市中村 中村城跡三の丸付近】

贈従四位樋口先生記念碑

大正8年、門人後輩らにより幡多図書館前庭に建立。島村速雄の撰文。後に中村城三の丸跡に移設された。

幡多郡奉行所跡

 

【高知県四万十市中村丸の内22】

樋口眞吉は40歳の時に幡多郡奉行下役加役となり、幡多郡沿岸の防備の設計や工事の監督にあたった。

行余館跡

 

【高知県四万十市中村丸の内16

安政2年に樋口真吉の強い要望により設立された。樋口真吉、安岡良亮、木戸明らが指導にあたった。

木戸明邸跡

 

【高知県四万十市中村丸の内13】

木戸明は天保5年6月、中村の豪商吸田屋3代目廣之助の子としてこの地に生まれた。遠近鶴鳴に学問、樋口真吉に剣術を学び、勤王活動に奔走した。明治維新後はこの地に遊焉塾を開き、教育に専念した。

安岡良亮邸跡

 

【高知県四万十市中村丸の内11】

安岡は樋口真吉に従い国事に奔走、薩土密約に参画した。戊辰戦争には迅衝隊の半隊長として出征し、近藤勇の捕縛、処刑にあたった。維新後は新政府に仕え、熊本県令となるが、神風連の乱に際し襲撃され亡くなった。

樋口真吉邸跡

 

【高知県四万十市中村小性町68】

樋口真吉は文化12年11月8日に郷士樋口信四郎の長男として生まれた。幼い頃から父に無外流の手ほどきを受け、23歳の時に大石神影流に入門し、剣術の腕前は全国に知られるようになった。戊辰戦争では小監察・軍裁判役となり、凱旋後功により留守居組に昇進した。

木戸明墓

 

【高知県四万十市中村山手通54】

大正5年9月13日卒

※幸徳秋水と同じ墓地にあります。木戸のお墓は幸徳のお墓の斜め左後ろにあります。

土生山墓地

 

【高知県四万十市中村大橋通6丁目4-2付近】

※墓地は住所の場所から山に続く道があるので、そこから墓地に向かってください。反対側の住宅街にも登り口がありましたが、竹など倒れていたので舗装されている前述の道が登りやすいです。途中「泰作さん」墓所の看板がありますが、下のお墓は看板は通り過ぎて奥の墓地にあります。

樋口真吉

明治3年6月14日卒
東京都麻布徳生寺に葬られたが、明治36年の贈位後、中村に改葬された。

遠近鶴鳴

天保15年閏7月25日卒
私塾鶴鳴堂を開き、樋口眞吉、安岡良亮、木戸明など多くの門下生を育てた。

菊池儀三郎

明治26年2月3日卒

第二回総選挙の政府大干渉の際に活躍したが、宿毛市に自由党壮士に銃撃され即死した。

冨賀源之助

明治10年12月24日卒
中村の刀剣研師。有事に備えて刀剣を秘蔵していたが、官憲に探知され、自宅にて割腹自殺した。